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2011年07月31日

伊良部 秀輝 元選手に想う

皆さん既にご存知のとおり、日米を又に掛け大活躍した元プロ野球投手の伊良部秀輝が逝った。

まだ42歳という若さで。

小生も学生時代、将来はプロ選手に憧れ同じポジションのピッチャーをしていた時期があった。肩をぶっ壊して断念・・・

江川投手以来の豪腕投手と小生は評価しており、野球を断念してから見ることの無くなった野球を見たくなった選手の一人だった。

下記に伊良部元投手の偉業を称え、ザックリとだが紹介したい。


1969年5月、兵庫県生まれ。投手。右投右打。背番号18(ロッテ)→35(ヤンキース)→14(エクスポズ)→45(レンジャース)→41(阪神)。香川県の尽誠学園高校時代は、1986年夏・1987年夏の甲子園に出場し、速球派投手として知名度を上げた。
 
1988年にドラフト1位でロッテに入団。
 
1年目から先発・中継として2勝5敗1Sを挙げ、2年目には守護神の座にも就いて9Sを残した。
 
3年目の1990年から主に先発で使われるようになり、8勝5敗というまずまずの成績を残したものの、翌年から不調に陥り、2年間で3勝に終わる。
 
しかし、1993年5月の清原和博との対決で日本最速の158キロを記録すると、ローテーションに定着し、8勝7敗1Sと復活を遂げた。
 
そして、1994年は、ロッテのエースとして15勝10敗、防御率3.04、239奪三振という好成績を残して最多勝と最多奪三振のタイトルを獲得。
 
翌1995年にも11勝11敗、防御率2.53、239奪三振で最優秀防御率と2年連続の最多奪三振に輝き、弱小球団と言われてきたロッテを2位に押し上げた。
 
1996年にも12勝6敗、防御率2.40で2年連続最優秀防御率と抜群の安定感を誇った。しかし、その年のオフに自らの夢とフロントとの確執からメジャー移籍を決意。ロッテとの激しい対立の末、1997年5月にヤンキースへ入団。
 
1年目は不調で5勝に終わったものの、2年目の1998年にはシーズンを通してヤンキースのローテの一角を担い、13勝9敗、防御率4.06という素晴らしい成績を残してヤンキースの世界一に貢献した。
 
1999年にも11勝7敗と2年連続2桁勝利を挙げるが、その年のオフにエクスポズへトレードが決まった。
 
エクスボズでの伊良部は、相次ぐ故障に泣かされ、2年間で2勝に終わり、自由契約となった。
 
しかし、伊良部は、レンジャースとマイナー契約を結び、自力でメジャーに昇格して守護神の座まで奪う活躍を見せる。だが、3勝6敗16セーブと数字を積み重ねていた矢先の2002年7月、肺血栓が見つかり、またもや戦列を離れることとなる。
 
病気が癒えた伊良部は、2003年に日本の阪神へ移籍。1年目から13勝を挙げる活躍を見せ、阪神の快進撃の立役者となって阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導いた。

当時監督だった星野監督の「伊良部がいたから優勝できた」の談話に涙がでた。
 
2004年限りで現役を引退。

150キロ台の剛速球に140キロ台の高速フォークを最大の武器にして打者を威圧しながら抑えるピッチングで大リーガーさえも手玉にとった。

ロッテ時代に対戦した清原和博(西武)との数々の名勝負は既に伝説となっている。

通算成績:<日本11年>72勝69敗11セーブ、防御率3.55、1282奪三振。最多勝1回(1994)最優秀防御率2回(1995・1996)最多奪三振2回(1994・1995)ベストナイン2回(1994・1995)
<大リーグ6年>34勝35敗16セーブ、防御率5.15、405奪三振。


小生、事プロ野球選手で破滅した人間を何人か知っている。

最近では元阪神タイガースのK選手が破産したニュースが流れたが、報道されない方々も多数いるのはご存知だろうか。

元ロッテのスラッガー、甲子園優勝投手のA選手の最後は、当時所属していた某ゴルフ場で毎年オフの正月を挟み、友人知人を引き入れ、大豪遊していたのだが、当時金銭トラブルの話は現場に入っていたにも関わらず、普段と変わらず飲めや食いや大豪遊で焼く170万円程の掛けをして消えた。

北陸の某ゴルフ場に所属していたときには、江川問題で阪神にトレードされ、巨人キラーと呼ばれたサイドスローのK投手は8〇3の経営するゴルフ場の支配人を借金を理由(騙されたのだが)に客寄せパンダとしてさせられていたりもした事実。

やっと念願かなって、球界復帰したものの急死してしまった。

元巨人のエースであったK投手も現役の頃から不動産投資に失敗、投げる借金王などと揶揄させれていたのはご存知のことだろうと思う。

江川も然り・・・


当然一般人でも、この手の失敗は多いのだが、それにしてもスポーツ界のプロフェッショナル経験者が多いのが気になる。

理由は至極簡単。

彼らアマチュア時代を中学・高校、中には大学まで過ごすのだが、アマ時代には見たことも無いお金をプロになった途端手にする。

それまでは (アマ時代からお金を貰っていた選手問題も過去起きたのだが) 一般の選手達の殆どが練習後のチームメイトで出向く食堂で明日の50円、100円を考えながら定食を食べていたりしたものなのだが、プロになった途端、今までの生活観が一変し、チヤホヤし群がる多種多様の人間が纏わりつくようになるし、黙っていても、物心両面から大変居心地のよいこの世の天国気分になるのは仕方のないことだと思う。

部活動の延長線上に破格の待遇が待っている。

突然なのよ。

当初は若者らしく、車から始まり、女・マンション・不動産投資、そして副業の店舗運営とパターンは大体決まっている。

その中で、生き残っている人は何人いるのだろうか?

 

金の切れ目が縁の切れ目、金が底尽いた途端それまで蝶よ花よと群がっていた人間がサッと引く。

社会勉強を全くしてない彼らがその後の難局を一人で解決するのは土台無理な相談なのである。

その後の末路は皆さんが想像できることとなる。


小生は事プロ野球球団に声を大にして言いたい。

彼らは野球技術や体がプロ適合者としても、脳みそはまだヒヨコ。

是非とも、マネジメントする部署なり別会社組織を作り、ある程度彼らを管理する事をお願いしたい。


それと、話は戻るが伊良部元選手がアメリカに移籍する際、日米の野球協約(法律)の違いからかアホなマスコミによってずいぶん叩かれた。

現在の不平等な日本のシステムは、あの極悪非道の読売の渡辺恒雄が常勝巨人軍、個人の満足のために作ったものだ。

最近は体調問題なのか、殆どマスコミには出なくなったが、いち早く引退していただき、互換性のある、ある程度選手本位のシステム構築をしていただきたい。



記録もさることなら、記憶にも残る伊良部投手。


安らかに。


合掌。













Posted by 芝太郎 at 12:00│Comments(2)
この記事へのコメント
こんにちは☆
伊良部選手の阪神での活躍は記憶に新しいです。
残念です。
心よりご冥福をお祈り致します。
Posted by 和風すぱげっち 翁庵♪ at 2011年07月31日 12:35
和風すぱげっち 翁庵♪様

お早う御座います。
そして、コメントありがとう御座います。

残念で残念でしかたありません。
Posted by 芝太郎芝太郎 at 2011年08月01日 06:49
 
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